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あしあと

    茂原市制施行50周年記念事業 企画展 郷土ゆかりの画家 速水御舟の生涯 -兄弟子 今村紫紅との出会い-

    • 初版公開日:[2022年04月26日]
    • [更新日:2022年4月26日]
    • ID:233

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    会期

    平成14年9月14日(土曜日)~10月23日(木曜日)

    過去の展覧会ご案内です。すべて終了しています。

    内容

    近代日本画の巨匠・速水御舟(はやみ ぎょしゅう)は茂原とのゆかりが深く、御舟の父親は現在の茂原市山崎の出身です。当館所蔵の御舟の本画6点、絶筆の『円かなる月(まどかなるつき)』の習作の他、これまでほとんど公開されなかった素描・写生など数十点をベースとして、御舟の姿を浮き彫りにしていきたいと思います。

    御舟の本画、小下図、素描、周辺作家の本画・素描等あわせ約80点以上を出品する本展では、特に、郷土資料館との合同による調査研究成果を展示します。具体的には、御舟のアトリエの画材、遺品等、各種資料の展示に重点を置き、御舟の生い立ち、人物像、そして茂原との関わりを浮き彫りにしていきます。

    速水御舟(はやみ ぎょしゅう) (1894~1935) 日本画家

    明治27年、東京都浅草出身。当時の本名は蒔田栄一

    明治41年、松本楓湖(まつもと ふうこ)の安雅堂画塾(あんがどうがじゅく)に入門。

    やがて、禾湖(かこ)の号を与えられる。当初は巽画会(たつみがかい)(楓湖門の村岡応東が創立)への出品・受賞を続けた。楓湖門下の今村紫紅(いまむら しこう)に出会い、紅児会(こうじかい)(安田靫彦が中心の歴史画研究会)に入会。

    17歳の時、号を自ら浩然(こうねん)とし、やがて大正3年には、母方の速水姓を名乗り、号を自ら御舟とする。同年、再興第1回院展に入選、院友となった。さらに同年、今村紫紅を中心に小茂田青樹(おもだ せいじゅ)らと共に赤曜会(せきようかい)結成に参加。(フランスのアンデパンダン展にならい、テント張りの屋外展などの活動をした)この頃の作風は、紫紅の影響が色濃く、点描による詩的な雰囲気のある風景画が中心である。

    大正6年より、4年間京都で活動。再興第4回院展にて早くも同人(審査員)となる。大正7年の『洛北修学院村』(滋賀県立近代美術館蔵)に代表されるような群青を基調とした作品が多くなる。

    その後、西洋の写実を取り入れていた岸田劉生(きしだ りゅうせい)の影響を受け、細密描写作品が多くなる。特に大正9年の『京の舞妓』(東京国立博物館蔵)などに代表される。

    大正12年の『炎舞』(山種美術館蔵・重要文化財)は、特に傑作。写実を進めた独自の形態・装飾性のある作品が多くなる。他に『翠苔緑芝』(昭和3年・山種美術館蔵)、『名樹散椿』(昭和4年・山種美術館蔵・重要文化財)なども傑作。

    昭和5年に欧州旅行。帰国後、人物画に取り組み、さらに新しい作品を生み出そうとしたが、昭和10年、40歳の若さで急逝。

    お問い合わせ

    茂原市役所教育委員会教育部茂原市立美術館・郷土資料館

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