白鳥庫吉生誕の地
- 初版公開日:[2020年08月18日]
- [更新日:2020年8月18日]
- ID:1112
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白鳥庫吉生誕の地(しらとりくらきちせいたんのち)
茂原市指定文化財(昭和48年1月10日指定)
- 所在 茂原市長谷
- 所有 個人
白鳥庫吉は元治2(1865)年2月4日、上総国長柄郡長谷村に生まれ、千葉中学校・第一高等学校に学んだ。中学時代の恩師である那珂通世(東洋史学者)・三宅米吉(考古学者)等の影響を受け、歴史学の道に進む。
卒業後、大学予備門から東京帝国大学に入学し、明治23(1890)年に史学科を卒業、学習院教授となった後、東京帝国大学教授となって東洋史の研究に力を注いだ。また研究の他「東洋文庫」の設立にも尽力した。弟子には津田左右吉などがいる。
大正14年に停年退職したが、その際「これで書生に返った」と言ってペルシャ語の研究に着手するなど、精力旺盛な東洋史の世界的権威であり「邪馬台国北九州説」を主張したことでも有名。『西域史研究』『満州歴史地理』の外、多数の著書があり、千葉県の先賢中の一人になっている。