常泉桃村三畏塾跡
- [2015年2月25日]
- ID:1114
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常泉桃村三畏塾跡(つねいずみとうそんさんいじゅくあと)
茂原市指定文化財(昭和48年1月10日指定)
- 所在 茂原市柴名238番地
- 所有 個人

常泉桃村は、柴名村の常泉穂波の長男として天保元年(1830年)江戸で生れた。
長ずるに及び旗本、平岩節斎(せっさい)について国学を修め、加茂真淵(まぶち)平田篤胤(あつたね)に私淑したのち柴名に帰り、父穂波の創設した三畏塾で近在の子弟の教育にあたった。
明治3年宮谷県令、柴山典(文平)は桃村を社祠局主事兼郷校教授とし、明治6年には神祠官(じんぎかん)より教導職を授けられた。一方村吏ともなり村の発展につくしたが、明治28年66歳でなくなった。
桃村は和漢の学に長じ、特に書道にも勝れていた。著書に「周易妙解(しゅうえきみょうかい)」「劉向新序注(りゅうこうしんじょちゅう)」等がある。