藻原寺文書
- [2015年2月25日]
- ID:1128
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藻原寺文書(そうげんじもんじょ)
茂原市指定文化財(昭和59年3月31日指定)
- 所在 茂原市茂原1201番地
- 所有 藻原寺
藻原寺は日蓮宗の名刹で、日蓮が立教開宗を宣言した建長5年(1253年)に「宗門最初の法華道場」として始まったと伝えられる由緒ある寺院である。後に常在山妙光寺と称した。天正19年(1591年)11月徳川家康より寺領御朱印地30石の寄進をうけた朱印状の写に埴生郡藻原寺とあったので、明治時代以降、藻原寺と改めたという。身延山久遠寺の系統で「金綱集(きんこうしゅう)」の如く身延より移った文書もある。
- 「金綱集」(第6・7巻)奥書
金綱集第6及び第7を1巻に書写したもので、もとは身延山と藻原両山を兼務した六老僧の一人日向上人の著書。この奥書によると、身延山の蔵本であったことが知られる。 - 「金綱集」裏文書
この裏文書は「日蓮宗々学全書」に収められているが、このうち日静書状2通は「南部家文書」のうちにも収められている。文書は元弘建武年間のころ在京の武士や僧から身延山久遠寺の僧にあてたものであり、このころの事情を示す文書として貴重なものである。明治19年内閣修史局採訪。 - 仏堂伽藍記(ぶつどうがらんき)
1巻、もとは袋綴の冊子であったらしく、紙の中央に折り目がある。内容は藻原寺及び長生郡地方の中世の事情を示すもので、16世紀前半に成立したものと考えられる。嘉暦2年(1327年)藤原範綱による説法道場の造立から始まり、南北朝時代にかけて伽藍が整えられていく過程がわかる。 - 「雑々抄」奥書
身延山11世行学院日朝の記。巻頭に「応仁三年己丑正月一日初」とあり、藻原妙光寺を初め、日興、日頂などの各門流における日々の勤行や経典読誦の様子など宗制、行事について記してある。 - 仁王棟札銘(2点)
真里谷隼人佑武田信長(まりやつはやとのすけたけだのぶなが)が永禄6年(1563年)妻と思われる竹寿(長南城主武田大蔵佑の息女)の祈願が成就したため妙光寺の仁王像建立の寄附をした事情が知られる。 - 制札(4点)
小田原北条氏が発給した文書で、軍が寺院周辺に乱暴狼藉を働かない旨を保障したものであるが、寺院側が難を避けるために、銭を支払って制札・禁制を発給してもらうこともある。 - 渋谷信忠田地寄進状(1点)
渋谷郷周辺の豪族と考えられる渋谷信忠が、永禄13年(1570年)に藻原妙光寺に対して常燈代として田地7貫200文を寄進したもの。