松林桂月(日本画)
- 初版公開日:[2020年03月05日]
- [更新日:2020年3月5日]
- ID:4022
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茂原市立美術館・郷土資料館収蔵の松林桂月の作品

略歴
松林 桂月(まつばやし けいげつ) (1876~1963)
明治9年、山口県萩市に生まれる。本名 伊藤篤。
明治27年、野口幽谷(ゆうこく)に入門し、南画を学ぶ。その後、同門であった松林孝子(松林雪貞)と結婚し、松林姓となる。
明治41年、文展初入選。以後、文展三等賞を多数受賞し南画家としての地位を確立。大正8年 第1回帝展より審査員をつとめた。
昭和期には、繊細でふるえるようなリズミカルな墨線により独特な南画を生み出し、花鳥画にも写実的画風の秀作を残した。
昭和7年帝国美術院会員、12年帝国芸術院会員、19年帝室技芸員、23年日本美術協会理事長となり、画壇の重鎮として活躍。33年 文化勲章を受章、36年 萩市名誉市民となった。
(近代日本美術事典より抜粋)

主な収蔵品
松林桂月の収蔵作品数は習作1点、書3点の計4点です。

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松林桂月「桂月遺作草稿」(けいげついさくそうこう)
(松林久吉題) 紙本墨 製作年不明 62.5×24.2cm
平成18年、弟子であった石井公男より当館に寄贈された作品。
茂原市出身で日展会員の日本画家 石井公男(いしいきみお)は、日展審査員をつとめていた日本画家 吉田登穀(よしだとうこく)の紹介で、松林桂月の内弟子となった。

松林桂月「桂月山人筆七絶 桂月庵之詩」(けいげつさんじんひつしちぜつ けいげつあんのうた)
紙本墨 昭和21~31(1946~56)年 33.0×30.0cm
平成18年、弟子であった石井公男より当館に寄贈された作品。
桂月最晩年の書で、自作の詩である。山口県出身の作者は、自身の人生を振り返るような内容を詠っている。
金輪寺畔菖茅堂 金輪寺(きんりんじ)畔(はん) 旧茅堂(きゅうぼうどう)
年少辛酸尚未忘 年少の辛酸(しんさん)なおいまだ忘れず
閲尽風塵過八十 閲(けみ)し尽くし風塵(ふうじん)八十を過ぐる
白頭今復入家郷 白頭(はくとう) 今復(いままた) 家郷(かきょう)に入(い)る
金輪寺・・・山口県萩市にある寺
白頭・・・桂月自身の事
石井公男訳

松林桂月「桂月山人筆三行詩」(けいげつさんじんひつさんぎょうし)(雪貞女史題) 紙本墨 昭和21~31(1946~56)年 130.0×32.2cm
平成18年、弟子であった石井公男より当館に寄贈された作品
痼疾難醫也宿縁 痼疾(こしつ)醫(い)し難(がた)きも縁を宿す
閑呼筆硯掃雲煙 筆硯(ひっけん)を呼び雲煙(うんえん)を掃(はら)って
画中埋骨青山在 画中(がちゅう)に骨を埋(うず)める青山(せいざん)在(あ)り
笑説吾家好墓田 笑って説(と)く吾家(わがや)の好墓田(こうぼでん)
この詩は、新潟県 赤倉温泉にある松林桂月の詩碑となっている。
石井公男訳

松林桂月「寿」(石井公男題) 紙本墨 昭和37~38(1962~63)年 27.2×24.2cm
平成18年、弟子であった石井公男より当館に寄贈された作品。